うつ病(2)休職前の生活

休職する前はどんな生活をしていたか?、を振り返る。

家庭での日課

朝6時に起床し、娘を起こして朝食を支度。保育園への送りは妻に任せて会社へ出勤。仕事が終わると早足で保育園へお迎え。帰宅後に夕食を作り、娘をお風呂に入れてから少し遊んであげて21時ごろ就寝。それらの合間に、体調の悪い母の生活をフォローし、時には仕事を休んで病院へ付き添っていた。休日は子供の相手をしていた。

残業はゼロ、しかし…

夜は子供を保育園に迎えに行くので「絶対に残業しない!」という信念を持ち、自身や部署の仕事の効率化を図り続けて成果をあげていた。職場の同僚や上司が、私の家庭状況を理解してくれたおかげもあり、”残業ゼロ”を続けられた

ところが、結果を出せば出すほど与えられる仕事は増えていく。会社員ではよくあること。自部門の管理職に就きながら、それ以外の様々な仕事やプロジェクトを掛け持ちするようになっていた。例えば、個人情報保護のマネジメント、自社ビルの営繕、産業廃棄物の処理、会社案内の動画作成、etc。総務部に人が足りないと言う理由で、役員が私を指名して次々と仕事を振られる状態だった。

仕事の量は増えるが、費やす時間は増やせない。効率と密度を上げ続けた結果、どんどん自分が疲弊するのを感じていた。次第に左手に神経痛の症状が現れ始めた。ストレスを感じると左手に痛みと震えが起きる。

迎えたコロナ禍

コロナ禍により会社の就業規則が変わり、在宅勤務とフレックス出勤が認められた。製造業だったが私は管理職に就いていたので在宅で出来る仕事が多く、勤務制度を最大限に利用して仕事を回していた。

例えば、朝は会社へ出て、午後は在宅でデータ分析・書類作成。昼間に母を病院に連れて行く代わりに夜に仕事を行う。とても便利で有り難かい制度だが今になって思えば、勤務体制が自由になったことでコロナ禍以前よりも仕事を詰めこんでしまっていたと思う。

オーバーフロー

出世欲も無いため、介護と育児を理由に2年ぐらい昇格を断り続けていたが、前任者が定年を超えたため仕方なく昇格を引き受けた。部下のマネジメントや会議の量が大幅に増えて更に忙しくなったころ、母のガンが脳転移して重介護者になり完全にオーバフローした。

介護のために暫くは家を離れられない状況を会社に申し出たところ、完全な在宅勤務にしても良いとの許可が出た。しかし、仕事の責任からは逃してくれない。母の介護は24時間、気を抜けない状態だった。ほとんど睡眠時間がとれない日々が2ヶ月も続くと頭は働かなくなり、身体も心も病み始め、意を決して休職を申し出た。

休職前の私は、頑張り過ぎていたと思う。もっと早く「ギブアップ」しておけば良かったと後悔している。体調が良くなり仕事に戻ったとしても、以前のような自分には戻れないほどダメージを負った気がしている。

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