亡くなる1ヶ月くらい前からは顔や目に生気を感じなくなり、すっかり食欲も落ちていた。母が通っていた馴染みの喫茶店からお気に入りのココアとサンドイッチをテイクアウトしても全く口にしない。
そんな状態にも相変わらず目を離すと酸素チューブを自ら外してベッドから這い出てようとする。窒息や骨折の心配も増えていた。枕元に置いたナースコールの使い方も分からなくなってしまい、呼出ボタンを押さずに手元にあるリモコンやラジオを壁や床に叩きつける音で私を呼ぶようになっていた。
やがて私が息子なのか分からなくなると、産まれた田舎の兄弟の名前をうわ言のように呼んでいた。夢と現実の区別は付かなくなり会話は成立しなくなってくると日に日に体も弱っていき、いよいよ最期の刻が近づいていることを悟った。強い痛みを訴えるので医療麻薬の量も増え、血圧や意識レベルが低下していき、訪問医からは「あと数日だろう」と言われた。
少し変な話になるが、この当時は家の中に黒い影のような気配を感じることが何度もあった。姉が手伝いに来てくれたので、久々に娘を近所の公園を連れて行き遊ばせていると、ふと娘の肩に真っ黒なテントウムシが止まっていたのを見つけた。虫を怖がる娘に頼まれて優しく手で追い払うと、そのまま力なく地面に落ちると、その後は全く動かなかった。きっと偶然なのだろうが、こんな些細なエピソードでも何かの暗示のように思うようになっていた。そしてその日の夜から母の意識は戻らなくなり、二日後に息を引き取った。
死の前日は、呼吸はしているけど眠りから目が覚めない状態が続き、呼吸音がゴロゴロ鳴り出しているのが聞こえていた。亡くなる当日は朝から呼吸が浅くなっており、どんどん肌が黄色くなっていく様子を側で見ながら、最期の瞬間を看取った。
その日は姉も家に来ていたので姉弟そろって看取ることができた。姉は号泣していたが、私は悲しくはなかった。父の最期の時と同様で、心の準備はずっと前から出来ていたし、生前にやれる事は全てやっていたつもりだったので、不思議と落ち着いていた。
それからは医師と看護師に来て頂き、死亡確認を済ませてるとすぐに葬儀に準備を始めた。悲しみも表に出さず粛々と物事を進めていたので、姉からは冷たい男だと思われていたかもしれない。
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