介護の始まり
2013年の夏、父は脳梗塞を発症した。それから家族の生活は大きく変わった。
当時の私は多忙な仕事をなんとかこなしつつ、同棲中だった彼女(現在の妻)との結婚の準備も進めている頃、実家の母から父が入院したとの連絡があった。
実家に戻って母から詳しい状態を聞くと、数日前の朝、目を覚ました父が何を言っているか分からないくらい呂律が回らなくなっていたそうだ。母は異変を感じたが、医者嫌いの父が頑なに病院や救急車を拒み続け、それから2日も経ってからやっと救急車で運んだそうだが、遅過ぎた。病院で治療を受けたが言語障害と半身麻痺が残った。もっと早く対応しておけば重症化しなかったのではという悔いは今も強くあり、病院を拒んだ父を恨んでる。さらに糖尿病と大腸ポリープも見つかり、何度も入退院を繰り返すことになった。
病院から退院した頃は、まだ自分で布団から起き上がったり、壁に手をつきながら歩くことが出来たが、身の回りのことは母に任せきりでリハビリも怠け続けた結果、数ヶ月後には寝たきりになり要介護4の認定を受けることになった。
実家を建て替えて同居
実家を介護のためリフォームもしたが、1階が店舗で居住スペースは2階だったので通院などに父を外へ連れて行くことも苦労だし、築50年以上も経っていたため改築することにした。とても悩んだが、借地問題の対応や私の結婚などのタイミングも重なり思い切って決断した。
2世帯住宅での同居生活が始まった翌年には娘が生まれて仕事と育児も精一杯だったため、父の世話はほとんど母が面倒を行っていた。ところが次第にその母も介護疲れや持病の悪化により体調を崩しがちになり、母のケアもすることになった。仕事は相変わらず多忙で小さい娘の世話もある。そんな生活が数年も続けば体力的にも経済的にも疲弊して、毎日が苦しかった。
看取り
父は脳梗塞から6年後、父の様子がおかしいことに気づいた母が救急車を呼び、その夜に病院で息を引き取った。死因は心不全。
介護していた期間は、何度も「いつまで続くのだろうか・・・、もうこの手で終わらせてしまおうか・・・」という考えが浮かんでいた。時折ニュースで介護生活の末に親を手にかけた人の事件を見かけると、同情して辛い気持ちになる。
父の最期を看取った時は「哀しみ」の気持ちは殆どなく「ホッとした」という感情が勝っていた。なぜなら私の中では父はとっくの前に亡くなっていた。顔や体は父であっても、私の知っていた父はこの世から居なくなってしまった事を介護生活中に気が付き、すでに別れに気持ちの整理は済んでいた。
親の介護というものはとても苦しい。幸いにも私はなんとか乗り切ることが出来た。これから親の介護が控えている方は、できるだけ自分の負担を軽くするための準備や勉強を前もって進めておいた方が良いと思う。
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