大正生まれの祖母が今春に亡くなった。
祖父が亡くなってから祖母の老人性痴呆症が急速に進み、およそ15年ほど前から老人ホームへ入居していた。面会に行っても私が孫であるかは分かっていなかったし、この数年は寝たきりで会話すら出来ない状態だった。両親が亡くなってからは私が後見人を引き継ぎ、老人ホームとの手続きや金策を行っていた。
今年3月に感染症により容体が悪化して病院へ移送され、一旦は持ち直したものの経口での食事が出来なくなり、医師と老人ホームから今後の判断を迫られた。胃瘻手術をすれば延命できるが、今の老人ホームでは胃瘻患者は受け入れていない。私は自然死を選択した。父の時も母の時も、延命処理を中止する決断を下す事に迷いはなかったが、やはり相応の罪悪感は残る。
入院中に娘を見舞いに連れて行き、曽孫の顔を見せた。娘が産まれて間もなくコロナ禍となったために老人ホームでは殆ど面会ができず、昨年の夏に初めて娘を合わせたばかりだったのだが、娘は怖がってしまい、すぐに病室を出ていってしまった。
それから数日後に退院して、老人ホームへ移送中の車内で呻き声を上げる祖母を見て心の中に罪悪感がまた芽生えていた。そして「もう98年も生きたから充分だよ」と自分に言い聞かせる。
老人ホームへ到着すると、本当に最後のお別れをしてに諸々の書類にサインして私も帰宅。それから約2周後に死亡の連絡が来た。事前にお寺と葬儀屋には連絡・相談しておいたので、式や手続きを淡々と進めた。この5年の短期間で父、母、祖母と3度目の喪主になるので慣れていた。
我が家には遺体を置くスペースが無いため火葬するまでは葬儀屋さんに安置してもらった。お線香をあげに娘を連れて行くと棺桶の中の祖母を不思議そうに見ていた。
お寺の住職から戒名を決めるにあたり生前の人となりを教えて欲しいと頼まれ、私は困ってしまった。実は私は幼い頃から祖母が苦手だったのだ。私に対しては優しかったが、母に対して非常に厳しい裏の姿を見てしまってからは、私へ向ける笑顔も逆に怖く思えて懐く事が出来なかった。結局、住職には当たり障りのない事しか答えられなかったが、なんとか戒名は決まった。
それから火葬をして、翌月に納骨と四十九日法要も終えて一段落。私よりも上の世代の親族は全員この世を去った。私も10年間続いた介護の役目や経済的な苦心から解放された。そして次は姉か私の番だろうと思い始め、いつかのための準備や心配を始めている。
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