1996年リリースの楽曲。最近、この曲をよく聴いている。
小沢健二の作品は、リリース当時には気が付かないが、歳をとった今だからこそ分かることや、感じ方が変わる曲も多く、まだ20代でこの様な作品をいくつも作っていることに驚く。また、一曲を通して時間や季節の経過、それに伴う心の変化を表したモノが多いことも特徴の1つ。その最たる例が「大人になれば」だと思う。
1番は、大人に憧れる思春期
”ウッカリして甘いお茶なんて飲んだり”
ずっと昔「甘いお茶ってなんだろう?」と思っていたw。大人っぽく無糖の紅茶を飲もうとしたが、甘い味付きのモノを飲んでしまった=大人の真似をするが、子供らしさが抜けきれない。ということだろう。以降の歌詞からも、大人になりかけの時代(中学生くらい?)の事が綴られていると分かる。
“誰かと恋をしたら そんな時は言いたいな”
恋をしたら何を言いたいのだろう?。1番の歌詞を探っても該当するようなワードは見当たらない。おそらくは後述のフレーズだろう。
2番は、多感なハイティーン
歌詞に登場する”向日葵”や”夕暮れ”、そのまま捉えれば夏の情景だろうが、これは人生においての夏だと思う。より多く、より複雑な色彩(=感情)を知覚できるようになったこと示唆し、一瞬の”美しさ“と共にある”哀しさ“も感受できるようになった。そして愛を知り、”ブルース“(=苦しみ、悲しみ、孤独)も分かるようになった。
“夢で見たような大人って感じ ちょっと分かってきたみたい“
おそらく1番の歌詞にある言いたい事とは、このセリフだろう。このフレーズは曲の後半にも出てくる。同じセリフであっても、それを発する者の年齢によって意味や重みが変わる仕掛けが面白い。1番の人物では、本当は分かっていないのにカッコつけて言いたいだけ。2番の人物では、徐々に分かり始めた状態だ。
3番は、社会へ出たばかりの青年期
“草原“は、人生の広大な可能性。そこにある”夜風“や”ライオン“は、これから訪れるであろう試練や障害を比喩しているのだろう。
夢に向かい歩き出した青年の決意、これから起きる出会いへの期待、高揚感が溢れる歌詞で3番は終える。
間奏は、年月の速さと経過
3番の後は間奏パートに突入し、前半では疾走感のあるスキャットが続く。歌詞の無いスキャットから、ひたむきに頑張る主人公の姿と、慌ただしく過ぎていく日常を連想した。
間奏後半のインスト・パートでは、パーカッションの響きから人生の障害や停滞、紆余曲折を連想し、間奏パートが終わる頃には、主人公の人生においても大きな時間経過を感じる。
4番は、人生を折り返した中年期
”素晴らしい色に 街は包まれひっそり” ”確かに輝く美しい時”
”素晴らしい色、”美しい時”とは、夕暮れのことだと思う。「僕らが旅に出る理由」の”美しい星に訪れた夕暮れどきの瞬間”にもある通り、とても美しい光景だと思う。主人公の人生においても夕暮れどきを迎えた。
“空に見える星“は何を指すのだろう?。色々な解釈があるだろう。誰かを思い”メランコリー”(=憂鬱)になる主人公。友人・知人・愛する人がこの世を去り、星になったのだろうか?。
5番は、穏やかな晩年期
”何千の色 街の上を流れる”
幾度も空の色(天候や昼夜)が変わり、大きな時間経過を詩的に表現している。夢に向かって歩き続けた主人公もいつの間に白髪になっていた。
”誰かの歌を聴くと 夏の日は魔法” ”そしてウットリとブルース“
誰か若者の話を聞いて、自分の若い頃を懐古しているのだろうか。前半では”一人一人のブルース”だった歌詞が、後半では”ウットリとブルース”に変化している。若い頃は個人主義と他者との競争を意識していたが、現在は酸いも甘いも経験して苦悩や孤独も享受できようになったと思われる。
”部屋を片付けたら さぁちょっとだけ踊ろう”
前半では”夢を仕掛けたら さぁグッスリ眠ろう”だった部分は、残り時間の短さを示唆した歌詞に変わった。人生の幕引きを図りながらも、生きる愉しみを忘れない主人公が素晴らしい。私もこんな老人になりたい。
“夢で見たような大人って感じ ちょっと分かってきたみたい“
曲の最後に再登場して、繰り返されるこのフレーズ。老人になった主人公が発すると、謙遜であり皮肉にもなる。実に面白い仕掛けだ。
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