親切なクムジャさん

映画・ドラマ

★★★★★ 2005 韓国 監督:パク・チャヌク 出演:イ・ヨンエ、チェ・ミンシク

あらすじ

誘拐殺人犯として13年を刑務所で過ごした主人公。どんな囚人達にも優しく接して「親切なクムジャさん」と慕われていたが、出所すると別人のように人が変わり復讐計画を進めていく。

感想

20年ぶりに観てみたら、やっぱり面白かった。

公開当時、韓国映画を見始めて間もなかった私には、過剰な演出やブラック・ユーモアに少し面食らったが、何作か見慣れた現在は以前とは違う楽しみ方が出来た。

その国の文化や歴史背景を学べることが外国映画の楽しみ方の1つであるが、韓国はキリスト教が主流という事もこの映画で知ったし、主人公の味方に北朝鮮の元工作員が登場するのも興味深かった。この作品がキッカケで以降も韓国映画を見るようになった。

パク・チャヌク監督の作品は、オールド・ボーイなど他の作品も見たが、この作品が一番面白くて記憶に残る。美術センスも良く、主人公の赤いアイシャドウをはじめ、モダンでハイセンスなインテリア、腕に彫られたタトュー、主人公の作るケーキ、など印象的なカットが多い。

主演のイ・ヨンエ

K -POPで見かけるような画一的な美男美女はあまり登場せず、一重の瞳、角張った顔、などリアルな容姿の人が多く登場する中、イ・ヨンエの美貌が際立つ。

劇中でも美女の扱いだが、本作の彼女はとても美しい。彼女の顔が本作の醍醐味だと思う。純粋そうな女子高校生から刑務所を出たスレた女など、様々な表情と演技を見せてくれる。自ら指をツメた手でタバコをふかす顔や、人を殺す時の般若の形相までも美しい。美しいだけではなく説得力もあるから、ずっと見ていたくなる。

復讐計画

前半は、刑務所時代の回想シーンを挟みながら、先に出所した仲間達を次々に訪ねて、復讐の協力を得ていく。というプロット。プリズン・ブレイクの様な用意周到さと、天使のような悪魔の笑顔で、刑務所内を支配していく姿は、まるで魔女。

女子刑務所内のヒエラルキーの描き方もハード。女性同士の性暴力を扱う作品は珍しいので、なかなかの衝撃だった。R-18指定も納得。

再会を果たした娘は、海外の白人家庭へ養子縁組されたために韓国語が分からない。という設定が、後の展開に効いて面白い。劇中のナレーションが娘の視線であることが最後に分かると、劇中外のストーリーにも想像が膨らむ。

復讐を果たしても救いはない

もしもハリウッド映画だったら、前半の刑務所シーンを膨らませて派手なエンタメにしそうだが、本作は映画中盤で復讐相手を捉える事に成功する。

後半は被害者家族達を中心に話が進み、しばらくクムジャの出番が少なくなる。ここのパートは特に好き嫌いが別れると思う。幼い子供達のスナッフ・フィルムを見せられて究極にシリアスな展開になってから、笑って良いのか分からないブラック・ユーモアを何度も入れてくるので、初見の時は戸惑いながら観ていた。今改めて見ても苦手だった。

一蓮托生で被害者家族全員の手によって犯人を始末した後、クムジャの働く店でチョコレートケーキを皆で分けて食べるのだが、茶色くヌメヌメと光るチョコの色が、つい先ほどまで処分していた犯人の血溜まりのようで気持ち悪い。それを食べる被害者家族達。彼らも罪に染まってしまったことを示唆しているように見えた。

それとは対照的な雪の様に真っ白いケーキを持ち帰り、娘に与えるクムジャ。真っ白なケーキと娘の無垢さと重ねて将来を祈りつつも、穢れた人間になってしまった自分を悲観するラストが悲しい。

悲劇の主人公ではない

初見時のクムジャへの印象は「悪い犯人にハメられた悲劇の主人公」だったが、2度目に観た時に印象は変わった。そう思った理由をいくつか挙げる。

10代(?)で妊娠したクムジャは、教育実習に来ていた先生(=犯人)を頼ることにする。その後は肉体関係もあっただろうが、犯人は父親ではない。父親が誰なのか劇中では全く触れられないし、親を頼ることすら避けていたことから、家庭環境あるいは彼女自身に何か問題があったのでは?と想像した。キリスト教の処女懐胎も想起させるが、聖母というより頭と意思の弱い女という印象。

クムジャに入れ込み過ぎる神父。刑務所内では懇意の仲だが、出所後は無下にされ金で彼女を裏切る。神父の表情やストーキング行動、そしてクムジャの顔と髪に触る距離感には、信仰の同志以上の男女関係が匂った。若い男の子のツマミ喰いも愛情は無く、復讐の計画外の行動なので、ただの欲求の解消なのかと思った。

娘に会いに行く理由。金を借りて海外まで追いかけて再会したのに、訪問先では酒に酔い、娘が韓国に行きたいと言えば迷惑そうだ。行動を共にしてからも、英語を喋れないことを理由にコミュニケーションを避けている。毒親にありがちな自己中心的な愛情にしか見えない。彼女と親の関係も、そうだったのだろうかと連想した。

銃の試し撃ちで犬を殺すクムジャ。序盤の夢でも犯人を犬畜生に見立てて殺しているので、銃の性能確認だけではなく、自分に犯人を殺す覚悟があるのか確認するための行為と思えるが、罪のない犬を殺してしまうのはエゴを感じるし、強い拒否感を抱いた。

娘や自分を慕う人間よりも、復讐を優先した主人公。復讐完了後に被害少年の亡霊に会う事が叶い、結果報告して赦しを乞おうとしたが拒絶されて絶望する。ただし、この亡霊はタバコの煙で娘を失意のクムジャの元に飛び寄せるので、クムジャを恨んではいないと思う。つまり、この亡霊はクムジャに復讐など望んでいなかったと解釈した。ラストシーンで心配して飼犬のように後を追いかけてきた若い男も大切してあげてほしい。

ということで「人間らしいエゴを抱えて、選択肢を間違い続けた哀れな女性」というイメージに変わり、2度目の鑑賞で面白さが深まった。

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