家族葬
母の死後は、通夜や告別式は行わず身内だけで見送った。父に続き喪主を務めるのも2度目だったので、葬儀の段取りでは戸惑ったことは無かった。
近所の葬儀屋へ相談して、母の遺体の着替えやお化粧をしてもらい自宅に安置。檀家としてお世話になっている住職へ連絡し、火葬の日程や戒名の相談をした。
それから数日後、火葬の日。火葬場に身内家族と住職とお呼びし、そこでお経を読み上げ戒名をつけて頂いた。その後、遺骨を自宅に持ち帰り、49日法要の納骨まで自宅の祭壇へ安置した。
どこまで連絡するか?
母方の親戚にはすぐに報告したが、父方の親戚は血縁関係も無いし、既に疎遠だったこともあり連絡はしなかった。そもそも連絡先が分からない。その翌年の正月、父の従兄弟から母宛に年賀状が届いたので、遅ればせながら追加報告をした。
ご近所には母と仲の良かった3名程に報告。すると、ご近所ネットワークによって母の訃報が伝わり、次々と弔問の方が訪れてくださった。訪れた方々が口にする母の人柄を聞くと、改めて「この人の息子に生まれて良かったな」と思った。
香典返し
弔問やお手紙で香典を頂いたのは20名程度。相場通りに半額程度のお返しを用意した。返礼品の準備、お礼の手紙の印刷、宛先への発送、それら全てを手配してくれる業者を探して一括委託した。
困ったのは、香典に住所も連絡先も書いていない方。申し訳ないが仕方ないと諦めた。
返礼品を何にするか悩んだ。ギフト・カタログにしおう思ったが、母と同年代のインターネットを使えないお年寄りが多かったので、きっと面倒くさいかもしれないと慮り、無難に食品関係にした。
位牌やお墓の準備
生前の母は夫婦位牌を希望しており、父が亡くなった際には自分の戒名分の余白を残した位牌を用意していた。その夫婦位牌と、火葬場で頂いた母の戒名が書かれた仮位牌を、葬儀屋へ一旦預けた。およそ1週間後、母の戒名が追加で書かれた夫婦位牌が戻ってきた。
檀家に入っているお寺に父のお墓があるので、位牌同様に母も一緒に入ることにした。お寺から墓石屋さんを紹介して頂き、納骨の日程や金額などを確認・調整した。四九日の法要を済ませた後、すぐに納骨できるように墓石の清掃と納骨室の開けておく段取りをして頂いた。
納骨

四十九日は桜が満開の時期で、納骨の際も我が家の墓石の上まで伸びた桜の枝から沢山の花が吹雪いており、悲しさや寂しさなんて全く感じさせない美しい光景だった。
法要や納骨が終えると、参加した身内で食事をし「来年の1周忌も元気に会おうね」と言って解散。
母の介護を終えて
納骨を終えたところで、やっと母の介護が終わったと感じた。また役所の手続きや遺品整理は残っていたが、ずっと張り詰めていた緊張が解かれて、ひと段落ついた。そして、介護生活で負った自分のダメージを回復させる事を考え始めるようになった。
やっぱり介護は辛い。仕事と両立なんて無理。心身ともに大きな不調を引き起こした。
父も母も70歳前後で亡くってしまい寂しいが、私が体力や経済力のある40代のうちに介護と看取りを済ませた事は、良かったのかもしれない。病院などで90歳ぐらいの親を70歳ぐらいの子供が面倒見ている姿を見るのも珍しくない。
まだ祖母は存命で老人ホームにいるので経済的負担はまだ続くが、すぐに仕事は復帰せず、しばらくは休息と充電をして過ごすことにした。
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