食事
亡くなる1ヶ月くらい前からは顔や目に生気を感じなくなり、すっかり食欲も落ちていた。母が通っていた馴染みの喫茶店から、お気に入りだったココアとサンドイッチをテイクアウトしたが、全く口にしなかった。
固形物はスッカリ食べなくなり、口にするのはゼリーやジュースだけ。カロリー不足になってしまうため、医師から処方された医療用の栄養ドリンクを飲ませていたが、無くなる数日前からは好きなオレンジジュースしか飲まなくなった。
動きたがる
日に日に体力は衰える一方、それと抵抗するようにベッドから起きあがろうとしていた。自分が病気であることを忘れてしまったのだと思う。自ら酸素チューブを外して掛け布団をめくり、ベッドから起きようと手すりを掴まるが途中で諦める。という事を繰り返していた。
私が眠っている隙に、ベッドから転げ落ちることも何度かあり、無茶をすれば窒息や骨折の恐れがあったので、ますます目が離せなくなった。
枕元に置いたナースコールの使い方が分からなくなってしまい呼出ボタンを押さずに、手元のラジオやラジオを壁や床に叩きつけて私を呼ぶようになった。それから間もなく、私の事も忘れてしまった。
直前
亡くなる数日前になると起きている時間も減り、眠っている間は田舎の兄弟や友達の名前をよく呼んでいた。夢と現実の区別も付かなくなり、会話は成立しなくなった。日に日に体も弱っていき、いよいよ最期の刻が近づいていることを悟った。
ガンの痛みも強くなるにつれ医療麻薬の量は増え、血圧や意識レベルが低下していくと、訪問医師からは「あと数日だろう」と言われた。
死亡前日は、呼吸はしているが眠りから覚めない状態が続き、呼吸音がゴロゴロ鳴り出しているのが聞こえていた。亡くなる当日は朝から呼吸が浅くなり、どんどん肌が黄色くなっていく様子を側で見ながら、最期の瞬間を看取った。
虫の知らせ
少し変な話になるが、この当時は家の中に”うっすら黒い影”のようなナニカが見えたり、妙な気配を感じることが何度かあった。
姉が介護の手伝いに来てくれたので、娘を久々に近所の公園を連れて行き遊ばせていると、真っ黒なテントウムシが娘の肩に止まっていたのを見つけた。虫を怖がる娘に頼まれて優しく手で追い払うと、そのまま力なく地面に落ちると、その後は全く動かなかった。そのテントウムシを見た日から母の意識は戻らなくなくなった。
きっと偶然なのだろうが、こんな些細なエピソードでも何かの暗示のように思うようになっていた。
直後
母が亡くなった日は姉も家に来ていたので、姉弟そろって最期を看取ることができた。姉は号泣していたが、私は悲しくはない。父の最期と同様に、ずっと前から心の準備は出来ていたし、生前にやれる事は全てしたつもりだったので、不思議と落ち着いていた。
それからは医師と看護師を呼び、死亡確認をして頂いた。ちょっと部屋の片付けを済ませると、すぐに葬儀の段取りを始めた。悲しみを表に出さず淡々と物事を進めていたので、姉からは冷たい男だと思われたかもしれない。
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